アンケート調査の結果報告
アンケート①〜④のまとめ内で使用している略号等とアンケート解答に関する注意点
1-2 流産・死産から受けた心理的、物理的(合併症等)な影響や、その回復に要した期間を教えてください。
- PGT-A未経験者
- PGT-A経験者
- 3ヶ月
- 1年
-
掻爬手術に伴う胎盤遺残、子宮仮性動脈瘤を発症し、命の危険に晒された。
それにより半年以上妊活をストップせざるを得ない状況となった。
何度も繰り返す流産によって、先の見通しが立ちにくいため、仕事のチャンスを何度か潰していることもあり、キャリアを考える上で大きな障害となっていると感じている。
また、妊娠する度に流産時の心身共に辛かった過去の状態を思い出し、また流産するだろうと思い、緊張状態となる。解決策の見えなさに絶望的になる。 - 7ヶ月
- 一時的にメンタル用の薬を飲みました。妊活再開まで5ヶ月ほどかかりました。
- まだ一年しか経っていませんが、回復していません。
-
心の傷が一番です。夫婦間でも微妙な空気になり、夫婦だけだと煮詰まります。
手術時は肉体的にも辛いですが、産婦人科での手術の場合、保育器の横を通らなければならず、初回の流産だったら心が折れていたと思います。
切り替えが早い性格なので回復の時間はあまり要していません。 -
亡くなった赤ちゃんに申し訳ない気持ちで半年経った今もきっと一生この想いは持ち続けるんだとおもいます。
また、上手く出産できなかったようで胎盤ポリープのようなものができ、今も大学病院に通ってます。 - 身体は1カ月くらいだが心は今も
- 妊娠したくて不妊治療をしているが、心身共に流産のダメージが怖いので妊娠が怖い。流産から次の妊娠を目指せる気分になるまで要した期間は1年間。
- 3〜6ヶ月
-
流産後3ヶ月程治療出来ない期間がもどかしい。もちろん流産自体が悲しい事ではあるのですが、流産が珍しいものでないことは重々承知していたので落ち込むようなことはありませんでした。
(いや、落ち込まないように自分に言い聞かせていました) - 回復に要した期間は一ヶ月。予想外に悲しく、会社に健康状態を報告する必要があり、流産したというとき、会議室で泣いてしまい困った。
- 心の回復は難しいです
- 不妊治療中の流産後、治療を再開するも心身ともに落ち込み、再度治療を始めるのにそこから二年近くかかりました。
- 精神的ダメージや体の回復にかかった時間半年から一年
-
心理的にですが、ひとりで寝れなくなりました。
3ヶ月経って気持ちは前向きになってもひとりだといつも以上に寝れないです。 - 約1年半
- 合併症等はなかったが、結局出産出来なかった。完全に回復したのかは、わからない。
-
またもし妊娠しても流産するんじゃないかという不安と恐怖がある。
流産後痛みやだるさが無くなるまで2週間くらい - 化学的流産のため、身体的なダメージはないが、心理的ダメージは大きく、完全に回復するというよりはダメージを蓄積しており、日常生活のふとした瞬間(生まれたての赤ちゃんを見たとき、周囲の女性が妊娠したとき)などがトリガーとなりつらい記憶がよみがえることがあります。
-
天国から地獄に落とされた。
自然流産だったが酷い腹痛で、もう二度と経験したくないと思い、着床前検査を決意した。 - 心理的にはまだまだ回復していません。特に2回の死産(胎児染色体異常確認済)は13週以降であり、今後もずっと我が子として想い続けます。
- 1ヶ月
- 生きた子どもを産むまでの一年半
- 流産後半年ですが、まだ精神的に安定していません。
- 自然排出、比較的短期に回復できましたが、2周期、3周期は要しました
-
1回目の流産(2017年8月)は9週の妊婦検診で分かり、ショックから立ち直れず1か月以上を過ごしました。
また術後なかなかhcgが下がらず胎盤が体内に残り、胎盤ポリープとなってしまい治療開始OKとの判断がでるまでに4か月半を要しました。
その期間治療ができない焦りがありその点は非常につらかったのですが、胎盤ポリープに目を向けることで心的なショックは少し和らいだ気がします。
2回目の流産(2018年9月)は胎嚢確認後の経過が思わしくなく、7週目でやっと弱弱しい心拍が確認できましたがその後流産となりました。
陽性後の経過で流産をある程度覚悟していたこともあり、1回目ほどのショックは受けませんでしたが、周りの人の妊娠を喜べない状況は今でも続いています。
また、1回目と同様に胎盤ポリープとなり同じく回復に4か月を要しました。
2回目の流産時は凍結胚の残りがなく、次は採卵からという状況であったため、1回目の胎盤ポリープの経過観察時よりも治療が開始できない焦りが大きかったです。 - 心理的にはまだ全快できずにいます。
-
精神的にかなり落ち込んだ。
しかし年齢的にも早く妊娠したいので1周期休んで許可でたらすぐに治療再開した。 -
可愛そう、と言われたのがとても辛かったです。妊活友達は、妊娠して私から離れていきました。
腫れ物に触るのがめんどくさくなったんだと思います。
死産して半年たちますが、未だにその傷は言えないし、離れていった友人と今後仲良くするつもりもありません…。 -
5回目の妊娠でなんとか出産しましたが、心理的ダメージは完全回復はしてません。
産後また2回流産してますが、慣れたのと子どもがいる事、転座持ちだから仕方ないと思えるだけで、あの頃を思いだすと辛い。
今でも虐待のニュースを見ればなぜこういう人達に限ってと憎く思い、順調に妊娠出産、やりたい放題のマタニティ生活をしてる人を見ると不幸になればいいのに、と思ってしまう。
疎遠にした人も沢山いる。
子どもがまた不妊で苦しむかもしれないと今から罪悪感と不安だし、死ぬまであの時感じた影響は続くと思う。 -
半年間は体調が悪く、生理が不順でした。
精神的なストレスもあり、治療再開まで8ヶ月かかりました。 -
若いうちから不妊治療。体外受精でやっと妊娠したものの流産。
2回目こそはと臨んだ移植でも流産。何が悪いのかわからず、受精卵の染色体異常かも、という理由。
何故異常を移植前に判断できる技術があるのに日本では当たり前にならないのか。
正直身体のつらさよりも精神面の辛さの方が断然大きかった。
子供を持てたとしても一生忘れられない。
少し思い出しただけで簡単に涙が出てくる。つらい。 -
なかなかHCGが下がらず流産から半年待ち、移植後陰性が続いたので検査すると、慢性子宮内膜炎になっていた。
流産から、一年以上経った今も妊娠できていない。 -
しばらくは泣いて暮らしました、、、。
一回目の流産の後5ヶ月後に2回目の流産をし、不育検査をうけました。 - 1年。2年経つ今も時々辛くなることがあります。
- 貧血。回復期間2ヶ月
- 2週間
- 半年程度
- 仕方のないものと頭では理解していても精神的にまいりました。1ヶ月は引きずりました。
- 4カ月
-
妊活を始めてから妊娠までは順調だったのですが、その後5ヶ月で2回、立て続けに流産をしました。
1回目は「そういうこともあるだろう」と前向きに捉え、次の妊娠に心を切り替えましたが、2回目の流産は痛みもひどく出血も多かったため、身体的なダメージが大きかったです。
さらに2回流産するということを夫婦ともどう受け止めたら良いか分からず、心理的に非常に不安定になってしまいました。
1回目は職場に報告せず、通常勤務で出張なども行っていたのですが、2回目は大事をとるために上司に報告し配慮をしてもらっていましたが結局流産したため、流産したことも報告せざるを得ず、つらかったです。
上司も困ったと思います。 - 具体的な回復期間はわからないが、常に不安と戦いながら治療を進めていっている
- 3周期
- 3年
-
初の流産以来、今まで3年間。これからもずっと。
初の流産後、自分を責め続け、妊婦さんと接するのが辛い自分を周囲に否定され、適応障害を発症。
以降2.3回目の流産を繰り返し自殺企図。
重度うつを発症し、休職を余儀なくされる。
メンタル不調で社会で働けない。 - 涙が急に出てきて止まらなかったりなかなか眠れなかったりした。2週間目には改善してきた。
- 一週間くらい
-
仕事に支障をきたす程辛かった。
身体的に回復したのは2ヶ月くらい、精神的な回復も同じくらいです。 - 心理的ショックから立ち直るまで2ヶ月かかった。
- 3か月
-
人工授精や体外受精を繰り返した末やっとの妊娠で結局流産。
もちろん自然妊娠での流産も辛いでしょうが、今までかけた時間やお金や精神的負担や希望がやっと報われたと思ったところから落とされる絶望感が強かったです。
また、流産すると時間的ロスが大きい。
流産するまで妊娠していた期間、流産後不妊治療再開までの休み期間。
年齢との戦いでもあるのでこのタイムロスが更に追い打ちをかける。
結局流産するとわかっている胚なら移植せず、可能性がある胚だけを移植できれば、時間的にも金銭的にもかなり負担が減る。 - 1年以上
- 半年以上
- 流産確定〜手術、回復してまた治療を始めるまでに時間がかかり、心理的にもとても苦しい
-
流産を経験して受けた影響は、幸い心理的な部分のみでした。
今まで欲することがなかった甘いものが無性に欲しくなり、なかなかやめることができません。
この状態が流産後2か月続いています。
まだ元の状態には戻っていませんが、新たに治療が始まり前を向いていくことができるようになれば落ち着いていくと思います。 - 3ヶ月タイミングの周期をあけなければなりませんでしたが、精神的に復活するには1度目は1年以上費やしてしまいました。
- 1年
- 2年
-
心理的にはPGT-Aを流産直後に受けられ、異常のない胚盤胞ができたことですぐに回復した。
物理的には内膜が厚くなるのに3ヶ月かかった。
因果関係は不明だが、内膜の状態が良くなかったのか、PGT-A後の異常のない胚盤胞を流産後3ヶ月で移植したが、陰性に終わった。
ホルモンバランスと内膜を整えるため、今は3ヶ月移植をお休み中。 - 3ヶ月
- 初回の繋留流産の時は1年近く抑鬱状態になりかなり回復に時間を要した。
- 年齢のこともあり、流産すると次の治療まで半年くらいかかり、時間を無駄にできない思いが強くなった。
- このまま流産を繰り返すのではと怖くなった。
- 着床後の流産は身体共にかなりダメージを受けました。
- 1年 妊娠できない辛さで自己肯定感が下がった
- 精神的にも肉体的にも立ち直るのに6ヶ月かかりました。
- 3年近く経ちますが心理的にはまだ引きずっています。
- 不妊治療開始後、全移植、全部流産に2年間費やしました。
- 3〜4ヶ月
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流産後半年はホルモンが整わず、治療が再開できなかった。
流産を繰り返し、子どもを得るため、仕事を辞めざるを得なかった。 -
初回は自分を責めて2か月ほど泣いたり落ち込んだりした。仕事は2日休んだ。
2~5回目は、自分のせいではく染色体異常だと頭で理解して1月ずつ精神的に落ち込んだ。
6~8回目は理由がわからず、不妊治療中絶え間なくつらかった。 - 新生児死から4年半ですが、いまだ亡くなった子が恋しく悲しくて落ち込むことがあります。
-
精神的負担は大きかったですが、仕事をしていたので紛らわせながら夫婦で乗り越えました。
物理的には、知識もなかったため2回掻爬術を受けてしまったこともあり、子宮内膜が薄くなってしまい、その後の移植治療の際には7mm以上になることはありませんでした。
また、流産掻爬術で染色体検査を受けたいと希望しましたが、受けた医院ではそれはできませんと言われたため受けられませんでした。
諸々あり、3回の流産後に本腰入れて治療を開始しました。流産を反復していた時期は約2年間でした。 - 喪失感 絶望感は今も解消しきれません
- とくになし
-
ショックを受けて、しばらくは気分が落ち込んでいました。
仕事中や人と会っている時などは大丈夫ですが、家に1人でいる時など無力感に襲われ、何もやる気が起きなくなることがあります。
今も完全には回復していないと思います。
(最後の流産から約2年経過)物理的には、流産後数ヶ月は治療ができないことで、その期間治療の機会が失われました。 -
1度目は自然妊娠での稽留流産→自然流産で、たまたま運が悪かった、妊娠はできるんだと前向きに捉えようとしたが、2度目は自分が出産まで行き着くことは不可能なのではないかと絶望した。
2度目は体外受精での8週目稽留流産だったが、掻爬手術後hcgがなかなか下がらず、次の移植に入るまで5ヶ月かかった。 絶望の中何もできずに苦しんだ5ヶ月は今でも涙が出る。 - 6ヶ月
- 慢性子宮内膜炎→回復に要した時間1ヶ月ほど、うつ状態→回復に要した時間半年ほど
- 1年で2度の流産で丸1年は無駄になりました。
- 流産手術後体調が悪く、免疫低下による炎症やリンパの腫れ、発熱等があり、回復するまでに2ヶ月ほどかかりました。
-
自然妊娠で三回流産し、一度は心拍確認後でした。
妊娠したら出産まで行けると思っていたので流産後毎日泣いてました。
3回目で旦那さまが何故流産するのか色々調べていた時私が卒業した病院を見つけてくれました。
気持ちが回復する時なんてありませんでしたが、、 -
良好胚盤胞移植、初期胚移植、二段階移植の全てで化学的流産し、不育症の検査をして、抗リン脂質抗体に陽性反応が出ました。
3回連続だったので、もうこんなことは続けられないと思いました。 - 二か月程
-
18週で待望の赤ちゃんを死産し、待望の妊娠でしたが自分の子供を失い毎日泣いて過ごしました。
身体が回復したのは半年後でした。 - 未だ回復していない
- 半年程
- 2ヶ月
- 心理的には回復していない
- 4年。今回妊娠するまで
-
三度目の流産では、大量出血を繰り返しながらの不全流産となりました。
大量出血により重度の貧血になり、更に子宮内の残留物に動脈が引き込まれたことにより、出血を伴う掻爬手術が出来ない状態となりました。
そのため、手術をせず残留物が出血と共に排出されるまで(完治に)4ヶ月かかりました。
その間、貧血の為に2ヶ月休職し、1週間弱入院もしました。
また、次の妊娠が怖く心療内科に通院し、治療を受けました。 - ごく初期の化学流産でしたが、それまでのホルモン治療が辛かったので、かなりの体調不良で精神的にもおちこみました。半年たっても思い出すと辛いです
-
自然妊娠での初期流産でしたが、不妊治療しても授からなかった時だったのでとても辛かったです。
この頃に着床前診断のことを考えはじめました -
私は1度の初期流産だけですが、6wで心拍確認できなかった時から自分が均衡型相互転座の保因者なのではないかと強く疑っていました(両親が繰り返し初期流産をしていたため)
ですので流産確定後、すぐ保因者かの検査に向けて動いたので、流産のショックだったのか、保因者ではないかという疑いが辛かったのか、自分でも定かではないですが、流石に1,2週間は強く落ち込みました。
なお、すぐに私が保因者だと確定したため即着床前診断に入りましたので、次に進もうと思うことが回復だというなら2ヶ月程度でしょうか。 -
つわりが無くなったとき、子供も亡くなったのだと虚無感があった。
また掻爬手術の影響でその後内膜が薄くなった。 -
流産を繰り返したことで慢性子宮内膜炎になり、内膜も薄くなった。心の傷はまだ癒えていない。
エコー写真を見るたびに涙が出る。 -
2回とも心拍確認が出来ず、出血もあったので毎日不安で辛かった。
また、2回とも搔爬術を受けたのですが、麻酔が効かず本当にしんどかった。
次の移植までにおおよそ3ヶ月かかりました。 - 半年間
- 物理的には3ヶ月
-
1回目の流産では自分は妊娠出来るんだと次への希望になりましたが、3度目の流産は不育治療して4か月の検診でお腹の中の赤ちゃんが亡くなっていました。
あのエコーに写ったハッキリした顔の赤ちゃんを見てから、手術後、重度の不眠症になり、半年は心療内科にしょっちゅう体調悪く通っていました。
流産から2年経ちましたが妊娠が未だに出来ず、不眠症の薬を飲んで過ごしています。
心療内科のカウンセリングにも通っていますが、この心の辛さは本当に地獄のような毎日で本当に崖っぷちです。 -
悲しみや不安はずっとなくならない。 子供のいる家庭などをみると苦しくなる。
心の回復は妊娠し出産できたらなくなるんだと思う。
流産後手術後2カ月くらいからまた妊活が始まるまでが回復に要した期間ではないかと思う。 - 流産していなければと今も心理的に辛い日を過ごしています。
-
2013年に2回目の流産を経験して自分では普通に過ごしていたつもりでしたが専門のクリニックに受診をして初めて自分が精神的に病んでいる事に気がつきました。
それから回復するのに3年位かかったと思います。
今でも流産をしたことがたまに頭をよぎり悲しくなることがあります。 - 3か月
- 最初の流産から8年経った今でも考えるし悔やまれるし忘れた事は無いです。主に心理的影響が大きいです。
-
繋留流産のため手術を受けなければならず、手術への恐怖と痛みがあり二度と繰り返したくありませんでした。
早くからつわりがあったのでやむを得ず上司に妊娠を伝えたのですが、その後すぐに流産の報告もしなければならなくなり辛かったです。
妊娠するための治療を続けやっと授かったのも束の間で自分はもう子どもを持つことはできないのではという思いや、妊娠出産をしている他人を妬む気持ちも出てきて精神的に追い詰められていました。 - 手術によって子宮内膜が薄くなり、1年半無駄にしました。天国から地獄へ落とされた感覚。
-
胎嚢確認後喜びもつかの間、予期せぬ流産で、天国からいきなり地獄に落とされた気持ちだった。
HCGが0になり次の治療が開始できるまで半年近くかかった。 - 各3カ月
- 1年
- 出産した今も、、恐らく何年たっても癒えるものではありません。。淡々と無になって治療してきました。
- 流産を繰り返したので心理的に回復したのは順調に妊娠継続した時です。
- 半年間
-
心拍確認後の流産でもあり、喪失感がすごく数ヶ月は日常生活にも支障が出た。
突然涙が出たり過呼吸発作も初めて経験した。 - 2年
-
難しい質問で、死産して子供を失った事実や悲しみは、少しずつ形を変えながら一生付き合っていくものだと思います。
その後元気な子供を授かったとしても、無かったことにはならないし癒される訳でもないと思います。 - 1ヶ月
- 絶望感
- 妊娠中、不安で仕方がなかった。
- 妊娠した喜びからどん底へ突き落とされ放心状態になりました、また身体は半年程かかりました。
- 一ヶ月
- 失望感による落ち込み
-
完全回復はできなかった。
1ヶ月は泣くだけ、次の1ヶ月は死ぬことだけ考えた。
3ヶ月たって不妊治療再開できるようになったらそのことを生きる目標にして徐々に回復。
元気な子を出産した今、初めて心から幸せを感じる。 - 精神的なショック 、出産するまで。
-
その後の遺伝子検査の説明で、もともと染色体数異常で出産に至ることができない胚盤胞だったと聞きました。
今までの治療がなんだったのかと思い、ショックでした。
それなら移植前に検査できないのか?という質問に「できませんよ、だって細胞をとったら卵がだめになるでしょ」というような説明を受けてのちにPGT-Aを知りました。
その場限りの言い逃れをされたような気がしました。 - 流産・死産の経験なし
-
ショックを受け、悲しみ涙した。
高齢での不妊治療中だったため、気持ちの回復のための休養期間は取らなかった。
流産後の子宮の休養のため3ヶ月ほど治療を中断。
限られた高齢出産への治療チャンスが休養により減ってしまうと感じた。 -
繫留流産を二回して「三回目の流産もあるかもしれない」と不安に駆られ不妊治療をやめようとしました。
PGT-Aがなければ再度チャレンジできませんでした。 - 落ち込みはあったが心理的影響はなかった
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高齢であったからこそ不妊治療等に最大限の努力をした上での流産だったので、心身共に大きなダメージを受けた。
それでも、残された時間は短く、精神的な回復も不十分なまま不妊治療再開した。 - 3ヶ月
-
最初の流産があまりにショッキングで治療再開に約1年かかりました。
5回目の流産の時、流産物の検査で正常胚盤胞だった事が分かり、再度心的ダメージが深く、また身体的にも度重なる流産から体力低下になり、家に引きこもる日々がありました。 - 相互転座のため胎嚢確認まで至らず。(体外顕微は4回、着床は2回)
- 最初の流産は妊娠を喜び、流産してしまうなんて事は予想もしていなかったため、現実を受け止めるまでに半年以上掛かりましたが、年齢的にも次へ進まなければならないと自分を奮い立たせ治療を開始しました。
- 子どもを授かるまで喪失感は消えませんでした。
-
2度の流産は、その後無事に出産した今でも思い出すと毎回涙が出てしまうほど辛く、悲しい経験でした。
まさに天国から地獄、赤ちゃんはもちろん、夢や希望まで一度に失った気持ちになりました。 -
心理的に特に酷かったのは1〜2ヶ月くらい。 その後にPGT-Aに向けて動けたので軽くはなったが、
流産した子のことは何年経っても心理的な影響は無いとは言えない。 -
妊娠を切望していながら、また流産してしまうのではないかと考えると、妊娠が怖くなってしまった。
ストレスからか、甲状腺疾患を発症。 -
流産から次の妊娠に至る治療の再開まで、9〜10ヶ月・・・
落ち込みはしましたが、旅行やライブに行ってリフレッシュしたり、美味しいものを食べたり、買い物したりした後、次の治療に向け、いろいろ調べたり、転院したりと、わりと前向きだったと思います。
2度の流産後の妊娠が子宮外だった時はかなり精神的なダメージを受けました。 -
流産のオペの当日の夜、次の日は落ち着いて動かずにいることが出来ず、寝ていてもずっと寝返りを繰り返していたり、食べながら座っていられず歩き回っていたりしました。
それらは2、3日で改善しましたが、その後の数ヶ月間は電車やエレベーターや車など閉鎖空間がダメになりました。
再び移植した後も、妊娠してまた流産するのが本当に怖かったです。 -
流産後は非常にショックが大きく、本当に悲しく辛い毎日でした。それまでに人生で一番辛い出来事でした。
ただ、高齢でしたので、早く治療を再開したいという気持ちが強く、いずれの時も、3か月後には治療再開しました。 -
外出できない、テレビで赤ちゃんが出るCM、ドラマが見れない。 死産によって甲状腺異常が出る。
一生回復はしない・・・次に無事出産してやっと心から笑えるようになった(2年) -
どんなに時間が経とうとも、出産の他に癒す方法はない。
とは言うものの、完全に癒えることは出産をもっても難しい。 -
妊娠したことで、決まりかけていた就職先を断った(先方に妊娠を伝えて断られた)が、その後流産が分かり、自身のキャリアが止まった気がした。
周囲の妊娠や出産を素直に喜ぶことができず、子どもを抱っこしたり、子どもの話に嫌悪感を覚えることもあり、そんな自分に悲しくなったりした。
回復に要した期間を数値表現するのは難しい。
どこかでまだ癒えてなくて、死ぬまであの思いを持ち続ける気がする。
(その後出産した私ですらそうなので、出産していない人の気持ちを考えると想像に及ばない。) - 各2ヶ月
- 物理的にはホルモン値が整い治療再開できるまでに半年。心理的にはその後出産に至るまで3年近くトラウマになり不安と恐怖と戦い続けました。